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2024/05/05  [PR]
 

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君もまた覚えておけ、藁のようにではなく、ふるえながら死ぬのだ。


このワンフレーズがずっと頭に残っていたので調べましたがあまり詳しくその背景を知ることはできませんでした。
東大の安田講堂に落書きされたものだそうです。学の足らない私にはこの文のどこに惹かれるかというのが表現できないのがもどかしいですね。諦めとも、またそれと全く逆の気持ちにも感じます。
これも私が大変尊敬している絵師の方の書かれた本で知った言葉です。どれだけリスペクトしてんだこの無知野郎となじられても仕方がないところですね。返す言葉もないとはまさに。






28巻は椿くんの一連は本誌をかじっていたので分かっていたのですがやはり可愛い。そしてこれからどんどんかっこよくなってくのです。疾風のごとく。迅雷がごとく。馳せ、轟かせていくのだと思うと胸熱ですね。

ただ達海さんのところは意図的に本誌を読まないようにしていたのでたいへん衝撃的でした。
泣かない人だとは思っていたのですが一番辛い時期のシーンもやはり涙は見せない人でした。なんだかこっちが辛くなってきてしまいますね。入れ込みすぎて胸が苦しいです。いっそ嘆いてくれれば、そういう描写があれば、人らしいというのにこの人は!読者にまで格好良く見せてくるんですね。男性だって泣いたって、35歳だって泣いたっていいだからねっ!!って私が大号泣でした。誰か達海さん抱きしめたげてよ・・・私は恐れ多すぎるから・・・じーのとか・・・大介とか・・・うぅぅ
なんでも一人で飲み込んでしまった、やってのけれてしまった達海さんを可哀想というのは失礼というものなのは重々承知だし、縋るものではないとわかってはいますが、でも、何かよりどころが、誰かがいてあげたらと思ったのです。もう少しだけ、もう少しだけ楽にさせてあげられなかったのか、何かできなかったのか、エゴだとは承知の上でも、それでもなんだか辛すぎるなんて表現では到底足りないというか、意味を履き違えてしまってるような気さえします。愛したものを失ったら、消えるのではなく離れることを余儀なくされてしまったら、見えなくなるまで遠ざかってしまいたいと私の凡脳は考えてしまうのです。それでも愛していた事実は限りなく消えることはないし、囚われ続けるのだとか。
(でも実はそんなぐちゃぐちゃした感情ではなくもっと透明で圧倒的な喪失感が空気のようにあるのにないみたいなものなのかもしれない。)

多分わたしは好きになったキャラクターをとにかく幸せにしたい笑っていて欲しいっていう押し付けがましい愛情表現の持ち主なのだと自負できそうです。もちろん二次元的な意味に限りますが。
冠葉とかはいい例ですね。


あと、いま久々にニコ動を漁って曲を聴いてるのですが
それがあなたの幸せとしてという曲がたいへん達海さんとか持田さんのようでなんだかもうダメです。
すき。持田さんはどうかどんな形でもいいから幸せになってくれますように。
はぁぁ(;~;)まさかスポーツ漫画読んでこんなに辛い気分になってしまうとは思わなかった
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